誰しもが気付いている事 医療介護の充実が社会を傾ける可能性

終末期医療による社会負担の増大

言葉として出すのは非常に難しいのが、医療介護による長寿化と医療費をはじめとした社会の負担増です。

人には思いがあり、その結実が現在の医療や介護の発達であることは間違いありませんが、一方で昔だったら潰えていた命が保たれることで発生する負担が徐々に積み上がっていることも事実です。

終末期の延命治療については本人や家族との意思確認の上でという流れもありますが、事前に意思確認ができる環境であるかはケースバイケースで、救急搬送で運ばれた場合などには難しいということも容易に想像できます。

延命に際しては高度な医療が行われるケースが多いですから、当然医療費も高騰します。したがって期間が長くなればなるほど負担は増大するわけです。(自己負担は高額療養費制度もあり、仮に数百万円の医療費がかかったとしても数万円程度です。)

もちろんこれは終末期の延命治療に限った話ではありません。

日常的な医療と介護は

日常的な医療についても高齢者人口が増加することで医療費をはじめとする社会保障の負担は増え続けています。

少し乱暴な言い方をすれば、自然摂理に逆らう代償とも言えます。
人間には死んでほしくない。出来るだけ長く一緒にいたいという心があります。
その思いが社会負担の増大を生み破綻の要因になりえてしまうというのも皮肉です。

望む望まないに関わらず、おそらくはどこかで一定のルールが設けられるようになってしまうことでしょう。
例えば、ある年齢以上の医療は自己負担や疾病の内容により負担上限が変わるなど。当然貧富の差で受けられる医療が変わってしまうことになりますから公平性は全くありません。

元気で長生きは素晴らしいことですが、元気ではないが長生きしているというのは…とあからさまに言われてしまう世の中が近づいてきているのかもしれません。

そんな未来を考えると我々が行なっていることは何なんだろうと思ってしまいますが、目の前のことに真剣に取り組み、かつアイデアを出し続けるしかないのですね。

また、個々人が自己のための医療や介護に関する方針を少なくとも家族や身近な人とは共有しておく必要はあるでしょう。